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アルテリッカ芸術祭発アート講座vol.6 第2回「教養としての映画」

投稿日:2014年10月27日

本日(10月11日(土) 14時~17時)の講座は、昭和14年(1939年)の日中戦争、陸軍の重慶攻略戦の様子を描いたドキュメンタリー(記録)映画として制作された「戦ふ兵隊」(監督 亀井文夫)の鑑賞と日本映画大学学長 佐藤忠男先生による解説でした。

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鑑賞に先立って先生からこの映画の制作の経緯と、監督の人物像の紹介がありました。

まず、この映画は戦意高揚映画として陸軍の意向のもとに制作されたが、厭戦的な描写がいくつか見られ問題視され、上映禁止となったと一般には言われています。

この映画の監督亀井文夫(1908-1987)は、当時ソビエトのレニングラードで映画を学び、東宝の前身に入社。「戦ふ兵隊」撮影のためカメラマン、同助手と3人で従軍し、映画を制作。その後「コミンテルンの指令」疑惑で1年余りの留置場生活を送っています。

 

75年前に制作されたフィルムの上映が始まる。

冒頭シーンは戦火に焼かれた農村の集落から避難退去する農民の列で、戦意高揚という目的からは異色の出だしだ。その後、日本軍の戦車の進軍光景はあるものの、過酷なテント生活、野戦病院の患者、夫の死も知らずに送付された妻の手紙を読む戦友、絶えず響く銃声音、酷使され倒れ死んでゆく軍馬、担架で運ばれる死傷兵等、侵攻する軍を取り巻く様々な状況が次々と映し出され、劣悪な厳しい環境で暮らす兵隊の日常の姿が「疲れた兵隊」として映っている。中盤には前線中隊司令部での司令官と部下のやらせと感じさせるような応答場面もある。終盤での敵の拠点である漢江を制圧した入城場面では、その進軍の様子にも勇ましさは感じられない。広場に集結した兵士たちを前で演奏される音楽は、戦意を高揚させることもない。そして最後は、破壊された街で再興のためにたくましく動き出すひとりの現地人の槌音で締めくくられている。

 

佐藤先生から「この映画が上映禁止になったというのは、正確な話ではない。」という切り口から、当時佐藤先生が直接関係者から聞いた内容をまじえて、「なぜこの映画が上映されなかったのか」「ドキュメンタリーにおけるやらせという表現について」いろいろな角度から解説いただきました。

 

亀井が何故に後援者(スポンサー)である陸軍の意向をほとんど無視したのかは、普通の職業人を経験した私には理解できない。“冒頭”の「農民の列」と“しめくくりの”の「現地人」をカットすればどうであったろうかと思う。一方では自身の判断を重視した亀井の構成・編集をうらやましく思う。

テーマ自身が重いものであり、また歴史認識ということでは極めて難しい時代に属している。聞き間違いや、理解の仕方で問題もあろうかと思う。その点ご容赦いただきたい。

 

これからもいろいろな機会にふれながら教養を深め、判断力を磨くように努めていきたい。

佐藤先生にはこの作品の紹介をはじめとして、素晴らしい解説をいただき大変勉強になった。感謝を申し上げます。(IU)

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(司会のボランティアスタッフ)

(写真提供:ERさん)